【定休日:日曜日】 《受付》月~金9:00~19:00/土曜9:00~17:00

院長プロフィール

私は鍼灸治療を通して、皆さんの身体と心に寄り添い、みなさんの人生を応援する治療家です!

名前
三林 誠(みつばやし まこと)
生年月日
1974年9月27日・てんびん座
出身
桑名市
資格
国家資格:はり師・きゅう師

アマチュア野球公認審判員

趣味
野球・ゴルフ・漫画・アニメ・麻雀
好きな言葉
Don't think, feel!・上善如水・感謝

経歴

はじめまして。「あすなろ鍼灸院」院長の三林誠です。

数ある治療院の中から、当院のホームページをご覧になっていただきありがとうございます。

初めて当院を知っていただいた方に、私がどんな人間なのか紹介したいと思います。

少し長いですが、読んでいただけると嬉しいです。

野球との出会い

私は小学3年生で野球に出会い、それから大学卒業までは野球一筋でした。

たいして上手ではなかったですが、「どうしたらスムーズに投げられるのか?」「どうしたら、効率よく遠くに飛ばせるのか」ということばかり研究していました。

好きが高じてプロ野球選手の物まねをして、周りの人たちに見せて喜んでいました。その時に一番研究して物まねをしたのは、落合博満選手の神主打法でした。(特にライト方向)

野球人生最大の大けが!

人生の中で一番野球に熱中していた高校生の夏に、私は大怪我をしました。

それは、高校3年生最後の大会の直前でした。

夏の甲子園の三重県予選の10日くらい前の練習中にボールが足に当たり、ふくらはぎを肉離れしてしまいました。

その時の痛みは今でも忘れられません。まさに激痛でした。

痛くて足を地面に着けることができなかったので、まともに歩くこともできません。

また、寝ているときでもふくらはぎが布団の床に着くと激痛が襲ってくるので、膝の下に枕を挟んで寝ていました。それでも、寝返りを打つたびに、激痛で目が覚めてまともに寝ることもできませんでした。

こんな状況でしたから、もう最後の夏の大会の出場は諦めていました。

鍼(はり)治療を受ければ!?

しかし、この時に思わぬところから助言を受けました。

鍼(はり)治療してみたら?

陸上部の先生からでした。

「鍼(はり)治療???」

当時の私は、鍼(はり)治療については全く知りませんでしたし、怪我は病院で治すものと思っていました。

病院の診断では、大会までには治らないとはっきり言われていました。

治すことが無理ならテーピングで少しでも歩けるようになって、みんなの練習の手伝いができればと考えて、陸上部の先生に聞きに行ったのです。

しかしその時は、ワラにもすがる思いですぐに紹介してもらった鍼灸院(しんきゅういん)に行きました。

ドキドキの鍼(はり)治療!

初めての鍼灸院では、とてもとても緊張をしたのを覚えています。

病院とは違い、受付もいなくて先生は一人。しかも薄暗い。

奥の部屋に通されると、人の絵に何やらたくさんの文字(今思えばツボが書いてあった)が入ったポスターが張ってありました。

一通り怪我の事を話したらベッドにうつ伏せになりました。

いよいよ治療の開始です。

・鍼が初めてで何が起こるか分からない不安感。

・うつ伏せなので、先生が見えない不安感。

・痛かったらどうしようという不安感。

・本当に鍼で治るの?とういう不安感。

 

たくさんの不安の中、治療がスタートしました。

(おそらく、先生は事前にいろいろと説明したと思いますが、私は極度の緊張から覚えていません・・・。)

思ったより痛くない!そして・・・

一本目を刺された印象は、「あれ?全然痛くない!」でした。

注射針で刺されるくらい、痛いイメージをしていた私は、拍子抜けしました。

次に先生は、肉離れしたふくらはぎだけではなく、お尻や背中にも鍼をしていきました。

「痛くないけどなぜ、そんなところにも刺すの?」と心の中で思いながらも、口には出せず・・・。

そして、どんどん治療は進んで、今度は電気を流すといいました。

「身体に電気!しかも、痛いのに電気!?」これも、私の心の叫びです。

しかし、電気を流し始めても、痛みは全くありませんでした。(ちなみに、当院の治療では電気を流す治療は行っていません)

電気を流していた時間は、15分から20分くらいだったでしょうか。私は緊張もすっかり抜けて、寝てしまっていました。

そして、治療が無事に終わり、立ってみて大変ビックリしました!

今まで、まともに歩くことが出来なかったのに、ぎこちないですが歩けるではありませんか!

しかも、多少の違和感は残っていましたが痛みがほとんどない!

これには、本当に驚きました。もしかしたら、治るかも?と一筋の光が見えました。

たった2回で・・・!

その3日後に2回目の治療を受けました。

治療内容は、1回目とほとんど同じでした。

治療が終わって、立ってみました。

1回目以上の驚きがありました!

ぎこちない歩き方だったのが、普通に歩けました。

しかも、軽くなら走れるではありませんか!!!

先生!僕、走れますよ!

あまりの嬉しさに、付き添いで来ていた先生にそう言いながら、治療院の駐車場を走ってみせました。

あの時の駐車場の風景や嬉しさは、今でも鮮明に覚えています。

「やったー!また、野球ができる!」

完全に諦めていた心に、再び火が付きました。

おかげさまで、無事に県予選大会に全試合にスタメンで出場できました。

残念ながら、3回戦で強豪校と当たり敗退しましたが、最後の大会に出場することができたので、悔いを残すことなく高校野球生活を終えることができました。

治療はその後、数回の施術で終了となりました。

その後の大学4年間での野球生活や、社会人になってからの草野球やゴルフなどをしても、一度もふくらはぎが痛くなることはありませんでした。

この経験は後の人生に多大な影響を与える事になりました。

サラリーマンとして社会人に、しかし・・・

大学卒業後は、営業職の仕事に就き、社会人として一所懸命に働きました。途中ゴルフ場に転職して仕事にも少しずつ慣れ、社会人としての自覚もついてきました。

しかし、30歳を迎える頃になり、今後の自分の人生のあり方や仕事に対することなどを考えることが多くなってきました。

 

自分が本当にしたい仕事とは何だろうか。このままでいいのだろうか。当時は真剣に考えました。

いろいろと考えを巡らしているなか、それまでの人生を振り返ってみると答えが出てきました。

周囲の人々からの支え

私は、19歳の時に父が、25歳の時に母を亡くしてからは、一人で生活をしていました。

その時に、“これからは一人で強く生きていこう”と決意しました。

しかし、人生は甘くなかったのです。

成人こそしていましたが、25歳の私は世間のことなど何も知らず、光熱費をどこに支払うのかさえ知りませんでした。

自分はこんなことも知らずに生活をしていたのかと驚いたのと同時に、全てをやってくれていた親に感謝しました。

少しずつですが、色々と覚えていきました。

それでも、一人で解決するには限界がありました。

そんな時、いつも私の周りの人たちが手を差し伸べて、助けてくれました

近所に住むおじちゃん、おばちゃん。

親戚のおじさん、おばさん、そしておばあちゃん。

会社の先輩や上司。

地元の友人などが、いつも温かく手を差し伸べて助けてくれました。

私は一人ではありませんでした。実は皆に支えてもらって生きているのでした。

そしてそれは、両親が亡くなった後からだけではなく、小さいころからもそうだったと気付きました。

自分に出来ること

そう気付いた私は、ならばこれからは私自身が周りの人たちや社会に恩返しをする番だと強く思いました。

仕事自体が社会に貢献しているのは間違いありません。

でも、もっと自分なりに社会に貢献できる仕事はないか考えました。

その時に思い出したのが、昔に受けた鍼灸でした。

高校時代に受けた鍼灸治療のおかげで、私は最後の試合に出られて、感激し、そして大変感謝しました。

この仕事なら自分の周りの人たちや社会に直接的に貢献することができる。

これに人生を捧げようと強く決意しました。

もともと、野球などスポーツを通して、身体の仕組みや運動に対しての動かし方を研究することが好きでしたし、漫画ブラックジャックの影響で医療にも昔から興味がありました。

脱サラして鍼灸師(しんきゅうし)へ!

そして、一念発起でサラリーマンを辞めて鍼灸専門学校に入りました。

三年間みっちりと座学や技術を学びました。

現代の解剖学から東洋医学、400近くあるツボの名前と位置、学ぶことはたくさんありましたが、若い時の学生時代とは違い、明確な目標がある勉強だったので、当時とは比べものにならない程真剣に勉強しました。

卒業して国家資格取得後は、名古屋にある鍼灸接骨院の仕事に就きました。

そこでは先輩方に実際の現場での治療方法や考え方、それぞれの患者さんに寄り添った接し方など多くを学ばせていただきました。

約9年間勤めてたくさんの患者さんと接していく中で患者さんからも、大切なことをたくさん教えていただきました。

そして、平成30年6月に地元の三重県に戻り、あすなろ鍼灸院を開業しました。

この間、結婚してかわいい女の子を二人授かり、家族を支えていく身分にもなりました。

 

 

私の思いとは・・・

鍼灸治療は、痛みや痺れだけを取ればいいとは思いません。

もちろんお困りの症状を改善するのは当然なのですが、鍼灸治療の先にある、皆さんの生活がより楽しく、より幸せになれるところまで手助けできればと思っています。

そのために、皆さんの身体と心に寄り添い、あなたの人生を応援する治療家になれればと思います。

あの時の誰かが私に手を差し伸べてくれたように、

今度は私があなたに手を差し伸べていければと思います。

 

■プロフィール
三林誠(みつばやし まこと)
1974年生まれの天秤座
出身/桑名市
現住所/四日市市
資格/はり師・灸師・アマチュア野球公認審判員
趣味/野球・ゴルフ・読書・漫画
好きな言葉/Don’t think, feel!・死ぬこと以外はかすり傷・上善如水
好きな映画/ロッキー・ガンダム
苦手なもの/高い所

平成18年 ユマニテク東洋医療専門学校入学
平成21年 ユマニテク東洋医療専門学校卒業
はり師・きゅう師の国家資格を取得。
平成21年より名古屋の鍼灸接骨院に勤務して経験を積む。
平成30年6月より あすなろ鍼灸院を開業

店舗情報

店舗名 あすなろ鍼灸院
代表 三林 誠(みつばやし まこと)
住所 〒510-0943

三重県四日市市西日野町57リバーサイドヨシノ1F

駐車場は店舗前に2台分あります。

営業時間 月~金:9:00~19:00

土曜日:9:00~17:00

休診日 日曜日
アクセス あすなろう鉄道西日野駅より徒歩1分
電話番号 059-340-9609

グーグルマップ

2020年5月28日